礼拝説教

イエスは自分で十字架を負って


2024年03月25日

ヨハネの福音書19章17-30節

† ヨハネは19章17節から本格的にイエス様の十字架での処刑と、息を引き取られる瞬間までに起こったことを記録しています。

[ヨハネ 19:17] イエスは自分で十字架を負って、「どくろの場所」と呼ばれるところに出て行かれた。そこは、ヘブル語ではゴルゴタと呼ばれている。

イエス様は憎しみにかられた偽りの群衆によって十字架に引き渡されました。ヨハネは、イエスがご自分の十字架を負って、「どくろの場所」と呼ばれるところに出て行かれたと記しました。主は重い十字架を背負って、死の丘に向かって行かれました。ヨハネは十字架の道、非常に長い苦難の十字架の道についてたった一行で、淡々とした筆致で記録しました。なぜでしょうか?主の十字架刑の出来事を思うと、こみ上げてくる悲しみを抑えることができなかったからかもしれません。あるいは主が引き渡された後、ゴルゴタの丘まで行く過程で受けられた苦難について到底文字で書き留めるに耐えられなかったのかもしれません。「どくろの場所」と呼ばれるゴルゴタまで、その死の場所まで行かれた主の内面世界の全てを、どうやって人間の言葉で余すところなく記録することなどできるでしょうか。

十字架刑は死刑制度のなかでも最も残酷で悲惨なものです。人類が行ってきたなかでも最も残酷な死刑方法でした。十字架につけられるために引き渡された罪人は、自分が釘付けられる十字架を自ら背負って処刑場まで行かなければなりませんでした。そこがゴルゴタという場所でした。また、死刑囚は罪状書きを首にさげ、四人の兵士たちに囲まれて十字架を背負って処刑場まで行かされました。それもできるだけ長い距離を歩かされました。それは罪状書きに書かれた罪を同じく犯す者は、このようにひどく鞭打たれ殺されるのだということをすべての人に警告するためでした。そして極刑である十字架刑は見ていられないほど痛ましくひどい苦痛を伴うため、遠い道を歩きながら彼の罪について弁護する者が現れるなら、最後に弁護する機会を与えるためでした。

マタイの記録には、この場面がより残酷に記されています。
[マタイ 27:27-31] それから、総督の兵士たちはイエスを総督官邸の中に連れて行き、イエスの周りに全部隊を集めた。 28 そしてイエスが着ている物を脱がせて、緋色のマントを着せた。 29 それから彼らは茨で冠を編んでイエスの頭に置き、右手に葦の棒を持たせた。そしてイエスの前にひざまずき、「ユダヤ人の王様、万歳」と言って、からかった。 30 またイエスに唾をかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたいた。 31 こうしてイエスをからかってから、マントを脱がせて元の衣を着せ、十字架につけるために連れ出した。

兵士たちはイエス様の着物を脱がせて、緋色のマントを着せて、茨の冠を頭にかぶらせました。そして主をからかって唾を吐きかけ、葦の棒で頭をたたきました。そして主に重い十字架を負わせたのです。

[マタイ 27:32] 兵士たちが出て行くと、シモンという名のクレネ人に出会った。彼らはこの人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。

イエス様が十字架をお一人で背負うことができなかったので、シモンという名のクレネ人に十字架を背負わせました。マルコの福音書15章21節を見ると、「兵士たちは、通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。彼はアレクサンドロとルフォスの父で、田舎から来ていた。」と記されています。シモンはアレクサンドロとルフォスの父で、クレネ人でした。クレネは現在の北アフリカ、リビアのトリポリです。過越の祭りにエルサレムに集まっていたとき、彼はそこで主のことを見ることになりました。そして、ローマ兵の命令で主の十字架を代わりに背負うことになりました。ローマの兵士たちはみな槍を手にしており、彼らが槍先で指し示す命令に従わざるをえない時代でした。主が十字架を背負って処刑場まで歩いて行かれる途中で倒れたとき、シモンが代わりに十字架を背負いました。とても感動的な話です。その時、個人的に見れば十字架を背負うために選ばれたのは不運だと感じたかもしれません。彼は大切な巡礼の旅をしながら、過越の祭りを守るためにエルサレムに来ていました。しかし、残酷な極刑に処せられる一人の死刑囚の十字架を自分が背負うことになりました。しかし、主の十字架を背負うことによって彼は最も近い場所でキリストの受難を知ることになり、後には彼の家族がみな主を受け入れるようになりました。ローマ書16章13節には、「主にあって選ばれた人ルフォスによろしく。また彼と私の母によろしく。」とあります。主にあって選ばれた人ルフォス、彼がまさにクレネ人シモンの息子です。イエス様は「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。(マタイ 16:24)」と言われましたが、シモンは主の十字架を背負うことによってその十字架の中に染み込んでいる苦難の深い意味を知るようになり、彼は忽然として変えられたのでしょう。

[マタイ 27:33-34] ゴルゴタと呼ばれている場所、すなわち「どくろの場所」に来ると、 34 彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。

マタイは、主がとても悲惨な姿でゴルゴタの丘を登られたことを記録しています。しかし、これはマタイが描いた十字架の道のなかでも最も感動的な場面の一つです。苦みを混ぜたぶどう酒は痛みを和らげる麻酔薬であり、彼らはそれをイエス様に与えて飲ませようとしました。十字架刑を受ける者たちに同情して、裕福な女性たちが苦みを混ぜたぶどう酒を持って来たのでしょう。十字架の場までたどり着くのがどれほど大変だったでしょうか。人間が十字架を背負っていくということが、どれほど残酷な道だったでしょうか。主は十字架を負われただけでなく鞭打たれ、棒で打たれました。その痛みだけでも感じずに済むようにと、女性たちが通りに立って苦みを混ぜたぶどう酒を与えました。それを飲むなら、痛みが和らぎます。しかし、イエス様はそれを少し口にされただけで、それ以上飲もうとはされませんでした。マタイはこれを逃さずに記録しました。主は十字架だけでなく、その道のりにおいて経験したあらゆる苦痛を忍ばれました。その苦難が私たちに対する愛であったため、主はそのすべての苦しみをそのまま担われたのです。その苦難を尊く受けられて、すべて耐え忍ばれました。

過越の祭りにはすべてのイスラエル人が子羊を屠って、その血を神殿に撒きました。これを行うことで、ユダヤ人は死の呪いが過ぎ去ることを願いました。主は自ら十字架の道を行かれ、私たちの罪のすべてを担われました。世の罪を取り除く子羊になられたことにより、すべての罪を担われました。バプテスマのヨハネはイエスについて「世の罪を取り除く神の子羊(ヨハネ 1:29)」と述べました。これはキリストの偉大な生を目撃した者の告白です。主は世のすべての罪を担われたお方でした。それが主のご生涯でした。

イエス様は「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。(マルコ 10:45)」と言われました。贖いとはどのような言葉でしょうか?この言葉のなかには商業用語である「償還(Redemption)」という意味があります。当時は奴隷市場があり、そこで奴隷が売買されていました。買い手がお金を支払って奴隷を買うことで、その奴隷を自由にすることもできました。そのように主はご自分のいのちを罪に売られ、罪の奴隷となって呪いの下で生きるしかなかった全人類を自由にするために、贖いの代価としてお与えになったのです。ご自分を憎む敵の怒りと憎しみまでもすべて背負われ、彼らの罪をすべて代わりに背負って行かれました。

神様の御言葉をただ聞くことと、実践することには大きな差があります。全く別の問題です。イエス様はことばと行いが完全に一致しておられました。イエス様は「自分の敵を愛しなさい。あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい。一ミリオン行くように強いる者がいれば、一緒に二ミリオン行きなさい。下着を取ろうとする者には、上着も取らせなさい。私があなたがたに新しい法を与える」と、敵を愛するべきだとおっしゃいました。

十字架の道はすべての憎しみの矢を受けられ、それを全身に背負われ、ご自身の死によって死に打ち勝たれた道でした。主は敵を愛されました。敵の燃える火矢を愛によって消されました。主は勝利者キリストとなられました。ですから十字架は偉大な勝利であり、十字架を背負って歩まれた主の道はまさに勝利への行進となったのです。

主が十字架を背負って行かれた道を、後から多くの弟子たちが従って行ったことでしょう。多くの弟子たちが主の姿を見ることになったでしょう。その主の姿から本当に知るべきことは何でしょうか?主の道は私たちの罪を担い、律法の呪いから私たちを贖ってくださった道であったという事です。パウロは「キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。『木にかけられた者はみな、のろわれている』と書いてあるからです。(ガラテヤ 3:13)」と言いました。主は律法の呪いからすべての者を贖い出してくださいました。ユダヤ人の律法には贖罪の儀式がありました。

[レビ 16:21-22] アロンは生きている雄やぎの頭に両手を置き、それの上で、イスラエル人の子らのすべての咎とすべての背き、すなわちすべての罪を告白する。これらをその雄やぎの頭の上に載せ、係りの者の手でこれを荒野に追いやる。 22 雄やぎは彼らのすべての咎を負って、不毛の地へ行く。その人は雄やぎを荒野に追いやる。

イスラエルの民たちの罪はどのようにして赦されたのでしょうか?それは「贖罪の羊(Scapegoat)」の犠牲によって可能でした。贖罪日になるとユダヤ人たちは羊ややぎを真ん中に置いて、自分が犯したすべての罪を転嫁しました。そして、その羊ややぎを都の外に放ちました。獰猛な獣が待つ城門の外の荒野に追いやって死なせたのです。この贖罪の羊の死によって、すべての者たちの罪が赦されました。

主が歩んで行かれた十字架の道は何ですか?それは私たちの罪のすべての病を負い、それを清算し、贖うために行かれた道でした。イエス様は私たちの罪のための贖罪の羊でした。私たちの罪、私たちの憎しみと憎悪に報いず、それを代わりに背負って行かれた道でした。死をもってそのすべての罪と呪いの鎖を断ち切られた道でした。主の十字架の道を見つめるとき、どのような挑戦が私たちにもたらされますか?この十字架の道を通して私たちが悟らなければならないのは何でしょうか?主が歩まれた道は、罪に定める道ではなく贖罪の道であったということです。ですから、私たちがキリストに似ていくというのは何を意味するのでしょうか?私たちが贖いの生き方をするということを意味しています。パウロは「互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります。(ガラテヤ 6:2)」と言いました。「主が私たちの罪を代わりに負われたように、あなたがたも互いの重荷を負い合いなさい。そのようにしてキリストの律法を成就しなさい」と。

十字架の道は私たちのうちにある罪を告発します。できることなら他者を非難し、重荷を背負わせ、傷つけようとする罪の性質が私たちのうちにあります。しかしそれとは対照的に、主は驚くべき贖罪の生き方を私たちに示されました。私たちが生きるべき道はどのような道なのか、キリストの生に従っていく道とはどのような道なのか、まことの愛の道はどのような道なのかを私たちに示してくださいました。

イエス様が十字架につけられた場所は、ヘブル語ではゴルゴタ、ラテン語ではカルバリです。カルバリという名の教会がたくさんあります。カルバリはキリスト教の象徴です。教会はカルバリの上に建てられなければならず、凄惨な十字架を掲げなければなりません。それが真の教会の姿です。「カルバリ」教会というのは、「どくろ」教会という意味です。色で表現するなら黒色です。どんよりとした暗闇です。死の谷、濃い灰色と漆黒のような谷、骸骨(どくろ)が満ちている谷、そこを主が通られ、すべての暗闇と死の力に打ち勝たれ、カルバリで勝利の歴史を切り開かれました。カルバリ教会というのは偉大な教会の名前です。キリスト教にはこのような偉大なメッセージが込められています。私たちも自分の十字架を負って、主に従う者たちにならなければなりません。

エオマ途上の弟子たちに、イエス様が律法と預言者の書を読んでくださったとき、弟子たちの胸が熱くなりました。律法とはレビ記16章です。預言者の書とは何ですか?イザヤ書53章です。イザヤ書には「彼は主の前に、ひこばえのように生え出た。砂漠の地から出た根のように。彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない。(イザヤ 53:2)」とあります。表面的に見ると、イエス様はどのようなお姿だったのでしょうか。見とれるようなものが何もありませんでした。十字架は言葉を失うほどの悲惨な刑罰です。1週間、もしくは10日間、死刑囚が絶命するその時まで十字架上につけられました。ところが、マルコは主が十字架にかけられていた時間を記録しました。その過程を見ると、主はあまりに弱々しいお姿でした。見とれるような姿が何もありませんでした。

[イザヤ 53:2-5] 彼は主の前に、ひこばえのように生え出た。砂漠の地から出た根のように。彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない。 3 彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。 4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。彼は罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。 5 しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。

彼が刺し通されたのは私たちの背きの罪のためであり、彼が砕かれたのは私たちの咎のためです。彼が懲らしめられたことで私たちは平和を味わい、彼の打ち傷のゆえに、私たちは癒やされました。主は私たちの代わりに苦難を受けられ、傷つけられ、懲らしめられ、鞭打たれました。

[イザヤ 53:6-8] 私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。 7 彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。 8 虐げとさばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことか。彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと。

屠り場に引かれて行く子羊のように、毛を刈る者の前にいる羊のように、黙々と歩んで行かれた主の十字架の道は、苦難のしもべについてイザヤの預言に記されている姿そのものです。十字架の道とは何でしょうか?私たちの罪の病と咎を背負って歩んで行かれた道でした。ヨハネは17節の一節を書きながら、それ以上筆を進めることができなかったのかもしれません。ヨハネの福音書は最後に記された第四福音書です。ですから主の十字架について、より詳細に書くこともできたはずです。しかし、それを言葉で言い表すことはできませんでした。そこで「イエスは自分で十字架を負って、『どくろの場所』と呼ばれるところに出て行かれた。そこは、ヘブル語ではゴルゴタと呼ばれている。」と、極めて短い一文のみ書き記しました。それは罪なき神の御子が歩まれた、私たちのための贖いの道でした。十字架の道は私たちのための愛でした。

創世記22章には、イサクの全焼のいけにえの出来事について記されています。アブラハムがイサクを連れて、モリヤ山に行きました。その山はイサクを全焼のいけにえとして捧げる場所でした。後にそこにはダビデの神殿が建てられました。ところが、そのモリヤ山上に行くまで、イサクは自分が焼かれて神様に捧げられるいけにえだとは知りませんでした。それを知らぬまま、自分を燃やす薪を自分で背負ってモリヤ山に向かって歩いて行ったのです。そこでイサクはアブラハムに「お父さん。全焼のささげ物にする羊は、どこにいるのですか」と尋ねました。これ以上に痛ましい悲劇はありません。アブラハムがこの悲劇をどうやって乗り越えることができたのでしょうか。燃える死の川をどうやって渡ることができたのでしょうか。それは知識によってではありませんでした。信仰で渡ることができました。アダムとエバは知識の実を取って食べ、信仰の園であるエデンの園から追い出されました。そして、この時代の不従順と不信仰の子孫たちもその道に追随して行ったのです。しかし、アブラハムは信仰の父です。彼はアダムとエバが失ったその信仰を取り戻しました。それで神様は彼を通して新しい信仰の歴史を始められ、信仰の民を立てられました。

それでは、アブラハムの中にあった信仰とはどのようなものだったのでしょうか。それはアドナイ・イルエです。神様がすべてを備えてくださるということです。与えられた方も神様であり、取り去られる方も神様だという告白がアブラハムにありました。到底理解することも、分析することもできない状況において、それらを乗り越えて新しい未知の世界、新しい約束の地、カナンの地へと進むことができる道、復活の栄光へと進むことができる唯一の道は何でしょうか?それはただ神様に対する全的な信頼です。イサクは自分を燃やす薪を背負ってモリヤ山を登りました。彼の姿に言い表せない悲しみを感じます。言葉に尽くせない悲劇の場面を見ることができます。しかし、ゴルゴタの丘に向かって、ご自分が磔(はりつけ)にされる十字架を自ら背負って歩まれた主の姿を見てください。私たちが経験するものとは比較にならない悲劇の姿を見ることができます。主は、ご自分が十字架につけられる供え物であることを知り、その十字架を背負ってゴルゴタに向かって登って行かれました。主はすべてをご存知の上でゴルゴタに行かれました。十字架刑を受ける者はすぐには刑場に登らず、重い十字架を背負ったまま遠回りさせられました。自分が死ぬことを知りながら、遠い道のりを歩いて行くことがどれほど苦しいことでしょうか。そして、そのように歩いていく死刑囚を鞭で打ちました。主はすでに鞭で全身を打たれ、骨を砕かれ、肉体が引き裂かれて血まみれになっていました。しかし、さらに鞭で打たれ続けながら、自分が磔にされる十字架を背負ってカルバリ山へ登られました。これ以上の悲劇があるでしょうか。ヨハネはこれを痛々しく記録しています。

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