2023年09月11日
“アブラハムは私たちすべての者の父なのです”
*本文: ローマ書 4章13-16節
[ローマ書 4:13] というのは、世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいはまた、その子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰の義によったからです。
パウロはここで、「信仰の子孫」について話しています。4章によると、神様の歴史はどのように継承されていくのでしょうか。それは血統によるのではなく、信仰によるものです。アブラハムは偶像商売人テラの息子でした。これがどれほど驚くべき事実でしょうか。神様は、ご自分の目から見て最も卑しい人物の息子を、契約の父となるべく召してくださったのです。そして、その息子に約束を与え、信仰の歴史を開く父祖とされたのです。これを私たちに当てはめてみましょう。この罪の現実に生きている私たちにとって、この物語はどれほど希望に満ちたものでしょうか。ある人は、非常に裕福で権力のある家に生まれてきます。しかし、神様の御前においては、何も誇れるものがありません。ある人は、神様の御前に立つことはおろか、先祖(せんぞ)のことを語ることもできないほどの、まったく惨めな家系に生まれるかもしれません。しかし、そうであるとしても何も心配することはありません。この希望に満ちた御言葉は、罪の現実に生きる私たちに、どれほど鮮やかに迫ってくることでしょうか。ただ、信仰による子孫だけが、神様の歴史を受け継いでいくことができるのです。
神様はアブラハムとその子孫が世界の相続人となるという約束を与えてくださいました。つまり、全世界があなたがたのものになると約束されたのです。アブラハムに与えられたこの約束は何なのでしょうか。創世記を見ましょう。[創世記12:2-3] そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福されます。[創世記18:18] アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべて国々は、彼によって祝福される。[創世記22:18] あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。真実な神様はアブラハムにある約束をされました。その約束とは次のようなものでした。「あなたは祝福され、全世界はあなたのものとなる。私はあなたに子孫を与え、彼らは天の星のように増えるだろう。そして、あなたによってすべての天と地、すべての人が祝福される。」
「私はイエス様を信じます」と言うことは、何を意味しているのでしょうか。イエス様を信じることが、この世界とどんな関係があるのでしょうか。パウロのメッセージは、かつてアブラハムを通して語られた約束に従って、イエス・キリストが子孫としてこの地に送(おく)られ、この世の全てをあなたがたに与える、というものでした。[創世記 26:4] そしてわたしは、あなたの子孫を空の星のように増(ま)し加え、あなたの子孫に、これらの国々をみな与える。あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。パウロは<13節>で何に注目したのでしょうか。その焦点(しょうてん)は、約束にありました。約束は決して変わることはありません。唯一なる神様がアブラハムに約束されたように、私たちは今、イエス様を通して祝福されているのです。神様は私たちにこの世界を与えてくださり、私たちを祝福する者は祝福され、私たちを呪う者は呪われると仰(おっしゃ)いました。私たちを通して、地上のすべての国々が祝福されるのです。クリスチャンはこのことを忘れて生きてはいけません。
ここで、パウロは「クリスチャン」をどのように定義したでしょうか。クリスチャンに対して反感を抱(だ)いていた人々に、クリスチャンとは「アブラハムの霊的子孫」だと教えました。では、イエス・キリストとは誰なのでしょうか。イエス様は、「アブラハムになされた全ての約束の成就者である。」つまり、イエス・キリストはある意味で、新しい偉大なアブラハムなのです。つまり、ここで使徒は、誤解をしたり、時には怒りを抱えるユダヤ人たちに、より大きな希望を与えています。「アブラハムはユダヤ人だけの父である」という閉鎖的な思考に囚われていたユダヤ人たちに対して、使徒パウロは「アブラハムはむしろ全人類のアブラハムではないか」と言ったのです。このようにパウロは、クリスチャンがアブラハムの「霊的子孫」であることを教えました。真実で変わることのない神様の約束の言葉を見てください。これは、今日これを読んでいるあなたを通して、地上の全ての国々が祝福されるという約束でもあるのです。
私たちが福音を受け取ったということは、何を意味するのでしょうか。イエス様がこの地に来られ、恵みの時代を開いてくださったということは何を意味するのでしょうか。それは、神様がアブラハムを通してお与えになった約束がついに成就したことを意味します。アブラハムとその子孫に対して、この世界の相続人となると仰った約束が、キリストにおいて成就されました。アブラハムに与えられた約束は、栄光のメシアのことであり、その約束はキリストにおいて成就されたのです。ですから、私たちがクリスチャンになるということは、どういうことでしょうか。それは、私たちがキリストにおいて成就された約束の上に立つということです。つまり、私たちは相続人となり、全世界が私たちのものとなり、私たちを通して全世界が祝福されるということです。キリストにおいて、私たちは、その祝福と栄光の立場に立つようになったのです。
[ローマ書 4:14] もし律法による者たちが相続人であるなら、信仰は空しくなり、約束は無効になってしまいます。
パウロはここで、「もし私たちが律法によって義とされるのであれば、そもそもなぜアブラハムに約束が与えられたのか」と言っています。「だとすれば、約束は無意味なものになるのではないか」と。これを聞いて、ユダヤ人たちはどのように感じたでしょうか。律法に囚(とら)われてしまうと、アブラハムのより尊い約束を失うことになるのだ、そう思い知らされたことでしょう。たとえ律法を守る人が相続人になれるとしても、律法を完全に守ることのできる人はこの世に存在しません。それゆえ、ユダヤ人であっても相続人になることは不可能なのです。
ここでいう律法とは、つまり肉(血縁)のことです。もし肉に従って相続人になるとすれば、信仰はむなしいものになります。ですから、教会は世襲制であってはならず、肉によって継承(けいしょう)されてはならないのです。では、教会は何によって継承されるべきなのでしょうか。信仰によって継承されるべきです。この伝統が教会にしっかりと確立される時に、神様が生きて働く教会になることができます。そして、神様はそのような教会共同体の中で働くことができます。なぜなら、それこそが聖書の伝統と信仰の伝統を継承(けいしょう)させる方法だからです。教会共同体が聖書の正しい教えに従う時、その教会はイエス・キリストの教会になるのです。
[ローマ書 4:15] 実際、律法は御怒りを招(まね)くものです。律法のないところには違反(いはん)もありません。
なぜ律法は呪いであり、怒りを招くのでしょうか。本来、律法は私たちを守るために与えられたものですが、パウロにとっては神様の怒りを招くものでした。なぜでしょうか。律法全体を完全に守ることは、私たち人間には不可能だからです。律法を知れば知るほど、自らの罪をより深く自覚するようになり、律法を守るべき責務が重荷としてのしかかってくるのです。そして、律法を知れば知るほど絶望に陥り、そこから抜け出せなくなるということです。パウロは、この深い世界をガラテヤの信徒たちに告白しました。[ガラテヤ3:13] キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。この手紙の中で、パウロは「主が律法ののろいから私たちを救ってくださった」と語りました。彼は律法を呪いと表現しました。「律法は怒りを招(まね)くものであり(15節)」<ローマ書4章>では、律法を神様の怒りをもたらすものと表現しています。律法があることで、人間は身動きが取れなくなってしまうのです。後ほど、<ローマ書7章>で、この部分を詳しく見ていきます。そこで、罪人が直面する不条理な霊的苦難 、その窮状について説明しています。
[ローマ書 4:16] そのようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。それは、恵みによるためであり、こうして約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持っている人々にだけでなく、アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。「わたしは、あなたをあらゆる国の人々の父とした」と書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです。
この言葉には何が込(こ)められているのでしょうか。イスラエルの民は、自分たちの民族の救いしか信じていませんでした。彼らは「子孫」を、自分たちの血統に限って捉えていたのです。しかし、真の神の民とは誰なのでしょうか?人は信仰によって義とされます。それゆえ、「子孫」は血統によってではなく、信仰によって決められるのです。<ローマ書4:16>は、<創世記17:7>からの御言葉です。[創世記17:7] わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々(だいだい)にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。ここで「子孫」に言及(げんきゅう)されています。<ガラテヤ書3章>も見てみましょう。[ガラテヤ3:16] 約束は、アブラハムとその子孫に告げられました。神は、「子孫たちに」と言って多数を指すことなく、一人を指して「あなたの子孫に」と言っておられます。それはキリストのことです。ここでも「子孫」に言及されていることが分かります。アブラハムの子孫はキリストだと書いてあります。さらに、子孫とは、アブラハムの約束を受け継いで祝福を受けた人たちであり、キリストとアブラハムの信仰を受け継いだ人たちであるとされています。この「信仰の種」のような人々だけが神様に祝福され、聖なる選ばれた民として立てられるのです。<ガラテヤ書3章16節>には、「約束は」と書かれてあります。聖書には、旧約聖書と新約聖書がありますが、旧約はアブラハムによって開かれた世界であり、新約はイエス・キリストによって開かれた世界だと言うことができます。しかし、同じ救いの原則が、私たちの信仰の世界にも適用されます。つまり、アブラハムの信仰は、真の子孫であるキリストによって受け継がれ、キリストの信仰は、キリストの子孫によって受け継がれるということです。
同じように、イエス様の十字架は、イエス様の時代の人々の罪を背負うためだけのものではありませんでした。アブラハムの約束と祝福がその子孫に受け継がれたように、イエス・キリストの祝福と栄光は、キリストの子孫である私たちにまで及ぶのです。Ω